Asamiのプロセスブログ⑥ 「夏の憂鬱」
夏の憂鬱
今は9月。2019年、今年の夏も暑かった!
私は夏生まれなので、この季節は大好き。
夏の解放感と熱は、私にワクワク感をもたらしてくれる。
けれどいつからだったか、
夏になると強烈な鬱状態を感じるようになっていった。
その状態を例えるならば、心臓と肺が苦しい煙でいっぱいになって、息を吸うのも吐くのも一苦労。それでも何とか呼吸をするたびに、悲しさがMAXになって涙がこぼれてくる。さらに喉と腰に重い違和感があって、首の後ろが固くて何かが滞っている感じ。
頭の中も外もギューッと締め付けられて、「死んでしまいたい」「何もしたくない」と頭の中でこだまし続ける。
そしてその内、本当に無気力になっていって、動けなくなっていく。
この状態を初めて自覚したのは高校1年生くらいだったと思う。
初めて彼氏が出来て嬉しい夏のはずなのに、なぜか消えたい。何が起きているのか分からなくて、自分が自分でなくなるようでこわかった。見るとワクワクしていたまぶしい入道雲でさえ、覆いかぶさってくるようだった。
夏に始まり、その後2~3ヵ月くらい続くこの憂鬱。
社会人になってからもそれは続き、そうなると引きこもらざるおえなくなって、会社を休んで布団の中にこもりきりになったりしていた。
1日休めば何とか心は復活して行けるようになるんだけど、そのうち本当に病気になった。
虚無感とはまた違う、重くて停滞していて、ベトーっと癒着しているエネルギー。
ここ数年、この鬱発作は起こっていなかった。
けれど…今年の夏は違った!ドでかいのが来た!
夏に受講した、発達段階に合わせて自分を見ていく「エナジェティックリレーションシップ」のワーク。このワークで何かがはじけた。
ワークで愕然としたことは、
「この世界にウェルカムされていない」と、細胞レベルで、骨の髄まで信じていたこと。
「欲しいけど、欲しくない。いやむしろ、欲しいとか思っちゃいけない」とニーズを禁じていたこと。
「私は欲することも出来ないので、他の人に私の欲求を叶えてもらおう!」と完全に自分を明け渡していたこと。
そう。
自分が「生きる」ということに、何の責任もとろうとしてなかったことが分かってしまったのだ。びっくりし過ぎて、帰りの電車の中とか様子がおかしかったと思う。
そして、忘れていた何かを思い出したように来た、夏の憂鬱。
でも今年はこの夏の憂鬱から逃げずに、向かいあうことができた。
ゆっくり、この重たくてベトっとしたエネルギーを感じていたら、存在を無視され続けている子どものイメージが浮かんで来た。
憤り、怒り、悲しみ、そして絶望。
けれど感情を感じようとするたびに、「それはダメ!」と自分に言い聞かせるもう一人の自分に叱責される。
少しの希望を感じては消し、「どうせこのままだから」と思い、それなのに願いが叶わないことに絶望して…の繰り返し。
その姿はまるでセルフDV。終わらない自己ネグレクト。
その子の周りには誰もいない。真っ暗闇。
いるのは自分の中のもう一人の自分だけ。
涙が止まらなかった。
こんなにもつらい状態を無視して、感じないようにして、あわよくばその存在を消そうとしていた。「ごめんね、ごめんね」と何度も抱きしめた。
不思議なことに、この時期から娘が常に「抱っこして抱っこして」と、力強い抱っこを私に求めるようになった。
わたしは、自分を抱っこするつもりで、力強く抱っこする。
35年以上放置し続けていたこのエネルギーは数日では解放されるはずがなく、未だ続いている。けれど不思議なことに、視界も思考も以前よりクリアだ。
焦ることなく、じっくり感じていこうと思う。
このエネルギーが愛に変わるまで。
写真はアフリカのモンバサで出会った猫ちゃん。
イスラム教徒の居住区には、猫が多い!
Asami
チームメンバー
1dayワーク&その他
9月27日(金) チャクラカードリーディングの会〜チャクラ心理学
チャクラ心理学の理解に基づいた理解を元に読み解くチャクラカードリーディングでは、7つのチャクラ毎に35枚(全245枚)ものメッセージの書かれたカードを使って、私たちのチャクラにとって必要な課題を明らかにしていきます。
10/4(金)イントロダクション〜私のエネルギーを生きる
https://hearteducation.center/course-introduction/intro-191004.html