Asami’sプロセスブログ

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  • セラピーを受けた理由 その① 2021年1月24日セラピーを受けた理由 その①
    2021.1.24   前回のブログに引き続き、また少し自己紹介を。   なぜわたしが「インナーチャイルドワーク」と、家系から引き継いだものをみていく「エナジェティック・リレイションシップ」を受けるようになったか、以前も書いたことはある気がしますが、そのきっかけや理由を再度詳しくお話しさせてください。   ACEスコアが「6」という数値のわたしです。何が大変だったかというと、旦那を含め、他者とのコミュニケーションでした。   まず、若い頃からひとりで居ることが苦手でした。手帳はスケジュールで埋めたくなるし、1日に何個も用事を詰め込んでは忙しくし、クタクタになっていました。ひとりでいることは、無意識ですが「友達がいないんじゃないか」「わたしは孤独な人間なんじゃないか…」という、不安や恐怖につながっていたのだと思います。ほかにも思い出したくないことを思い出さないようにするために、忙しくしていた要素もあると思います。   他者との間にふとした時に流れる沈黙も苦手でした。「間を埋めなきゃ」と色々話し過ぎて疲れては、後で「話し過ぎてしまった」と後悔やら恥ずかしさで打ちひしがれたり。「もっと気のきいた受け答えができたのでは?」と、誰とでもそつなく付き合える友人と自分を比較して羨ましく感じたり。実際に体感覚で、恥ずかしさで頭がショートするような、ハートが締め付けられるような感覚があり、顔もよく真っ赤になっていました。   友人とは仲良くなると「わたしのすべてを分かって欲しい」という気持ちが強くなり、自分と友人との境界線は曖昧に。ただし思考が極端なので、何かあると「もう友人じゃない!?」と縁を切ろうとしたり…。でも切ったりすることはできなくて、明らかに嫌な言動をとられても、相手から連絡がくると「受け入れてもらえた」と嬉しくなりまた同じ関係を繰り返していました。また、わたし自身も、相手がどれだけわたしの嫌な言動を受け入れてくれるか、無意識で試していたと思います。   相手も自分も気持ちの良い「友情」関係がよく分からず、「友達だからわたしのすべてを受け入れてくれるよね?」「わたしもあの人のすべてを受け入れなきゃ!」と、これが当たり前の友情の定義だと感じていました。どうやら違うらしいと知ったときは、驚きましたw   男性と話すことはさらに苦手でした。いつも自分を低くみつもる無意識自動スイッチがオンになり、「わたしと話してくれているんだから楽しませないと!」という焦りや緊張が出て来すぎて、疲労してしまうのです。ですが、自虐ネタなら大得意なのでそれに乗ってくれると盛り上がります(後で傷つく)。けれど自虐は、自分を大切にしている人には通用しないことがあります。一時期、自虐ネタ以外に何を話せばいいんだろう?という状態になったこともありました…。   パートナーシップも大変でした。 イエスマンになりすぎて、対等な感覚で話し合いができないのです。「それは嫌だ」と伝えることはかなり勇気がいることで、だからわたしの雰囲気から「察して欲しい」が強くなり、相手は大変だったと思います…。   さらに、弱い自分やダメな自分は出しちゃダメだと強く思っていたので、社会に適合している自分、自己実現している自分をつくろうとすることに必死しでした。   この感じは20代の時が特に強かったなぁと思います。 20代後半には、自律神経失調症、パニック障害、子宮内膜症、ジストニアにかかりました。ヤル気がでなくて動けない日も多かったので、うつ状態にもなっていたと思います。   それでも「頑張りが足りないんだ」と、鞭を打っていましたが、30代になり結婚や出産で自分も周囲も様変わり。子育てとパートナーシップは、自分が頑張ってもどうにかなるものではなく…やっと、「何かがおかしい」とセラピーの道へ。   なによりも、〈自分として生きている実感、自分を大切に愛する感覚がさっぱり分からない〉状態だったことが、セラピーを受けようと思った一番の理由かもしれないです。   正直、受けようと思わざるおえなかった心や身体の状態がありすぎで、明確な理由は分からないですが…。 何か真っ直ぐに通り抜けることができないような、こんがらがった状態にありました。   ではなんで「インナーチャイルドワーク」と「エナジェティック・リレイションシップ」だったのかは次回へ続く…… 事務局 あさみ
  • 恐怖心を取り戻す必要性 2021年1月14日恐怖心を取り戻す必要性
    2021.1.14   2021年になりました。 今年もよろしくお願いいたします。   きっと昨年から感じている方も多いのではと思いますが、時代の変化を実感しています。これから、どんな世の中になっていくのでしょうね?   わたしは「どんな時も楽しもう」なんて腹の底からは言えなくて、「どうなるんだろう…」という先が見えない恐怖もたくさん感じています。今までなら「ポジティブシンキング」や「言霊があるから前向き発言しかしない」などを取り入れて、自分のハートの声を聞こうとしなかったんじゃないかと思います。わたしの場合ですが、実はこれらをやっている時は、現実が直視できず全力で現実逃避していただけでした。   インナーチャイルドワークを行うようになってから、もっっっのすごい怯えて生きてきたわたしの意識をたくさん発見しました。本当はこわいのに「こわい!」と言ったらいけない感覚があって、だから「わたしは大丈夫」というフリをして、なんとか生きてきました。   〈未来への恐怖〉を大切にできるようになってから、随分と繊細に自分を感じることができるようになったと思います。自分だけでなく、娘や旦那の不安や恐怖心もきちんと受け止めることができるようになりました。   〈未来への恐怖〉をないことにしようとすればするほど、自分を大切にしていなかったし、現実を生きようとしていなかったんだなぁ…と今なら分かります。それを踏まえた上で、ポジティブな選択していけたらいいなと思うのです。   わたしは、2017年からHEセンターの講座を受けはじめました。今年で5年目になります。これからもずっと学んでいきたいと強く感じるほど、インナーチャイルドワークは生活の一部になっているし、〈わたし〉を取り戻させてくれたセラピーです。   今までのプロセスをブログに書いてきましたが、今年はもっともっと自分に素直になって、書き綴っていきたいと感じてます。   まずは改めて、自己紹介からさせてください。   わたしは年齢は30代後半で、現在はHEセンターの運営や事務にも関わらせてもらっています。都内だけれど自然豊かな場所に旦那と娘の三人で暮らしており、娘は4月から小学生。重度知的障がいと自閉スペクトラム症があります。   これからも少しずつ、どんなふうに癒しが起きていったのかを書いていきたいのですが、インナーチャイルドワークに興味がある方がいたらまずは、   ACEスコア   をチェックしてみることをおすすめします。   これは「小児期逆境体験」をみていくスコアになりますが、わたしはスコア6でした。数値が高ければ高いほど、癒しのプロセスは時間がかかると言えると思います。 我が家の場合は目に見えた身体的暴力などはごくわずかでしたが、目にみえずらい逆境体験がたくさんありました。実は最初におこなった時は2つしかチェックがつかず、その後は4に増え、最近再びおこなったら6という数値になりました。   「こんなこと昔は普通だった」「みんな何かしらあるし」「育ててもらったんだから…」「親を悪く言っても仕方がない」「わたしの人生はそこまでひどくないし」etcなどの無意識が働きまくり、自分の過去を尊重できていなかったわけです。   6あると分かった今は、残念なことが幼少期に起きていたという事実を受け止め、「生を諦めないでよく生きてこれた。小さな頃のわたしの意識たち、頑張ってくれてありがとう」と、自分のこれまでの生を尊重できるようにもなっています。   この感覚を感じることができるようになったことが、まず何よりのギフトだなぁーと思っています。   ぜひ、気になった方はACEスコアページを見てみてくださいね。解説つきです。   では、また~~   事務局 Asami  
  • Asami’sプロセスブログ21「娘の障がいが教えてくれたこと」 2020年9月16日Asami'sプロセスブログ21「娘の障がいが教えてくれたこと」
    2020.9.16   私には、重度知的障がいと自閉症スペクトラムを持つ娘がいます。 先日、6歳になりました!   来年小学生になりますが、まだオムツが外れないのでのんびり見てもらいたい気持ちもあり、特別支援学校を選択する予定です。   私が心の学びを続ける理由の中に、「障がいとは何か」という問いがありました。 さまざまな考え方があると思うので、ここでは私のプロセスや私の想いを綴りたいと思います。   娘は一人っ子なので、成長速度を比べられる兄弟姉妹がいません。いつもニコニコ楽しそうにしているし、言葉がなかなか出てこないけれど、まさか「重度知的障がい」があるとは思わず。ですから、診断が出た時は「そうだったのか」と驚きました。 とはいえ、周りの子と比べると明らかに成長がのんびりなので、「この子はどうなっていくんだろう」という不安は常にありました。診断が出る前の事件ですが、数年前に福祉施設で起きたいたましい事件のことを考えると、今でも涙が出てきます。   「障がいとは何か」「人とは何か」   きっと、娘がそのように生まれてきてくれなかったら、私は自分自身を正直に見つめることができなかったと思います。 ある方が、「娘さんに招待されたんだね」という言葉をくれました。 何てピッタリな言葉なんだろうと、震えました。   保育園も、働き方も、小学校選びも、現実と直面することの繰り返しです。 聞きたくない言葉を言われることもありました。 そして、わたしの中にも、嫉妬や恐怖など、本当にたくさんのものがありました。   歩けるようになること。 走れるようになること。 ジャンプできるようになること。 線を引く、丸をかけるようになること。   さらりとできてしまうようなことも、じっくり時間をかけて、修得していきます。 そんな姿を見ていてある時、「あぁ、この子は体験•行為そのものを、ものすごく深く深く、味わっているんだな」と気づくのです。これはもしかしたら、実はとんでもなくすごいことなんじゃないかと思います。 また、話せないけれど、実は存在そのものが言葉を放っていると気づいてからは、コミュニケーションがスムーズです。娘も嬉しそうにしています。言葉は、言語になる前に、その人から溢れているんですね。   そして、存在を否定されること。 「分からないだろうから…」という言動は、当たり前ですが本当に伝わります。仲間外れにされたり、過度な期待を受けると、娘はどんどん萎縮していきます。 これは、私の中のチャイルドを大きく揺さぶりました。   世界中の人は、一人残らず、すべて全員、〈存在〉している。 できようが、できまいが、どんなことがあろうとも、何があろうとも、そこに〈存在〉している。   当たり前だけど、私はまったく実感しながら生きてこなかったようです。 どうやら私はずっと自分の〈存在〉を否定していたようで、私は今〈存在している〉ということに気づいた時、涙がぽろぽろ溢れてきました。   特別支援学校の見学に行って、たくさんの子どもたちに会いました。 音楽の授業で、身体で、心で音を感じている子。 土や草の感覚、風を楽しんでいる子。 先生とのコミュニケーションを「嬉しい」と全身で表現する子。   もれなくすべての子が、防衛することのない〈存在の美しさ〉で溢れていました。   こんな素晴らしいことを教えてくれた娘、子どもたちには感謝しかありません。 この先も、きっとも娘は想像できないような体験に招待してくれるんだろうと思います。   なにがあろうとも、どんなことがあっても、〈存在〉している。 なんて深い安心感をもたらしてくれるんだろう。   娘、ありがとう。あなたはママにとって、かけがえのない虹色の大切大切な宝物です。生まれてきてくれて、ありがとう。   写真は、アフリカの猫ちゃん。 Asami  

 

意識の旅

意識の旅
  • セラピー中に注意すべき6つのこと 2021年5月14日セラピー中に注意すべき6つのこと
    セラピープロセスは、とても、長く、繊細なものです。一気に何かを達成したり、「なりたい自分になる!」と、マインドで決めたことを達成する道のりではありません。 継続的なセッションこそが、効果を生みますが、だからこそ、プロセス中は、様々な反応が生じます。 今回は、セラピープロセスの中で、マインドの罠にはまらず、本来の自分の力を取り戻すために、とても大切な6つのことを解説していきます。 セラピー中に注意すべきこと1:転移と逆転移を見極める セラピー中に、セラピストに親を転移(かつての誰かとの関係を、無関係の相手との関係に使うこと)することはよくあることですが、インナーチャイルドワークは、様々なセラピーの中でも、セラピストが転移を受けやすいと言われています。 なぜなら、クライアントが内なる子どもを意識することで、子どもである自分を刺激してしまい、セラピストに親や教師を見やすくなってしまうからです。 無意識を扱うセラピーですから、無意識で生じる転移を避ける必要はありません。 転移が起こらないのが何よりですが、起きた時にそのことに気がついていることの方が重要です。 もちろん、そのために、セラピストは自分自身にしっかりと向かい合い、転移を落とし、逆転移と呼ばれる、相手の転移に応じることがないように、意識的なあり方を磨く必要があります。 クライアントの過剰な転移には、セラピストが個人の尊厳を傷つけられるようであれば、しっかりとNOを伝えて、境界線を明確にすべきです。 ですが、だからといって、クライアントが起こす転移を100%発生させないことは不可能です。 セラピー中ならセッションで扱っていくこともできますが、転移を起したままセラピーをやめてしまうクライアントには、手の施しようがありません。 何が起こっても、それは、その人の人生の選択なのだと信頼して、いつかどこかで、その人がその転移の奥にある痛みを超えていくことができるように、静かにその人の背中に、魂の友として、頭を下げていたいと思います。 「助けられなかった」などいう無力さを感じているのだとしたら、それは、セラピストのエゴでしかなく、それこそが、クライアントが転移を起こす原因であることに、気がついている必要があります。 このことを自覚して、セラピストは、ただただ、自分の仕事を続けるしかありません。   セラピー中に注意すべきこと2:効果をしっかり感じる セラピーをやっても、一向に自分の人生が良くならないとか、体調がどんどん悪くなるとか、パートナーシップが大変な状態だとか、子どもの不登校が改善しないとか、、、そのような話は時々聞きます。 1つだけ明確なことは、言語化のセラピーを3ヶ月続けながら、何も改善を感じなければ、やり方が間違っているということです。 この場合、本人の受け取り方が間違っているか、セラピストがふさわしくないか、どちらかです。 また、本人があまりに重度のサバイバーの場合(ACE5以上)、3ヶ月くらいから半年くらいで、好転反応が出てくる場合があります。 基本的に、重度であればあるほど、セラピープロセスは長くなりますが、だとしても、必ず変化を感じながらの道のりですから、一切変化がないということはありません。 どれだけ重度のサバイバーであっても、半年から1年の間に、人生がうまく行き始めていると自覚できなければ、セラピーの効果を受け取っていません。 一年以上経った時には、自分らしさを探求したいという気持ちが湧いてくることもあります。 もし、それくらいの時間が経過しても、全く変化を感じないのなら、セラピストを変えるか、本人が自分のあり方を見つめ直すべきです。 セラピー中に注意すべきこと3:プロセスに乗る 毎回のセッションは素晴らしいのに、なぜかすぐに過去のパターンに戻ってしまい、結果、明確な変化が感じられないという話もよく聞きます。 この場合、セラピープロセスが、そもそも途切れてしまっていて、セラピーは困った時の助け舟だと認識されています。 セラピーは、プロセスと呼ばれる成熟の道のりに沿って行きますが、困った時の助け舟を必要としているなら、一方では、困ってしまうシチュエーションを望んでいますから、人生は、大波に揺られっぱなしです。 非常に過酷な人生ですが、幼い頃に、この過酷さに慣れてしまっているので、平和で凪のような人生の優しさは、深い場所で拒絶しています。 そのため、プロセスは常にぶつ切れのまま、困窮と救いの両極を行ったり来たりしてしまいます。 これは、一種の中毒で、ドラマ中毒、感情中毒とも呼ばれます。 人生に凪が訪れると、感情はなくなりませんが、常に感情的である必要はなくなり、事実をただありのままに眺められるような静けさがやってきます。 ドラマとも無縁ですから、誰かのおしゃべりや、感情の話には、さほど興味が湧かなくなります。 体を動かしたり、笑ったり、ただ、目に見える現象を静かに楽しんでいる時間が増えますので、感情に一喜一憂し、友人と感情の話で盛り上がることは少なくなります。 頭の中のおしゃべりが少なくなり、現実(見えるもの)にしか興味がなくなるというのは、ドラマ中毒、感情中毒を卒業しているという成長の通過点です。 セラピー中に注意すべきこと4:“そんな自分が好き”という条件付けを見破る ある程度セラピーが進んだ状態でも、この期間を足踏みすることがよくあります。 これが生じている場合、プロセスは少々難しいものとなります。 なぜなら、本人が満足してしまっているからなのですが、この場合、非常に強烈な条件付の中にあるので、実際には、まだ生きづらさでいっぱいです。 こだわりや完璧主義に支配されていますが、本人のアダルトチャイルドがそれを望んでいますから、変化させようというモチベーションそのものがありません。 それをやっていうちは、いつも疲労感があり、「こんなことをしている自分が好き」という条件付による有頂天と疲労感を行ったり来たりしてしまいます。 これも中毒症状なのですが、中毒している時は、本人は無自覚なので、中毒しながら、つかの間の快楽に満足しています。 もはや、人生は完璧で、セラピーは必要ないようなそぶりを本人は見せますが、関係性や人生そのものは、困難さに苛まれていますから、セラピープロセス中にここにはまっているとしたら、だからこそ、そのことに気がつき、セラピーを進めて行く必要があるのです。 好きであることは、とてもナチュラルなことなので、マインドでこだわって、手繰り寄せて、作り上げるものではありません。 また、好きなことをやっている最中は喜びとともに、心地よい感覚があるだけですから、「そんな自分が好きだ」という解離した感覚はありません。 ですが、これは、かつて痛みから立ち上がるために、何度もこの有頂天を利用してきたことによる脳内のドーパミン過多による反応ですから、なかなか本人の意志でだけではやめられません。 セラピー中に、好きなことを見つけることは、とても大切なのですが、それにのめり込んで、大切なセラピープロセスを中断してしまうとしたら、それはマインドの罠であるとわかっていることが大切です。 中毒落としは、非常に慎重に進めていく必要がありますし、とても時間がかかります。   セラピー中に注意すべきこと4:拒絶と孤独のパターンをやめる サバイバーの反応の中でも、最も難しいものが、拒絶と孤独です。 この場合、セラピストに激しい転移を起していて、かつて親へ向けられてた憤りを、セラピストに向けています。 ですから、セラピストを不十分だと言ったり、冷酷な言葉や拒絶によって、セラピストを傷つけようとします。 そして、相手より大きく出ることで、瞬間的に、自分は正しいという満足感を得ますが、拒絶は、結局、孤独を生じさせます。 また、孤独であることが、自分らしいという感覚があるのも、特徴的です。 意識的なセラピストであれば、クライアントが何を言っても動じることはありませんし、尊厳を傷つけられるような言葉には、NOを言うだけです。 転移を起した人が、どれだけ自分を傷つけようとしても、それは、本来、自分に向けられていることではないと知っていますから、残念な終焉に、ただ、残念さを感じるのみです。 その場合、その人はセラピストを貶めることに勝利はしていませんし、セラピストの人生は相変わらず平穏です。 残念なことは、残念なだけで、それ以上の意味はありませんが、拒絶と孤独を繰り返す人にとって、残念さは関係性の終焉です。   セラピー中に注意すべきこと5:罪悪感と自己卑下をやめる セラピストとしては、とても驚きのことでもありますが、セッションを受ける本人が、「セラピストの期待に応えていない」と思う場合があります。 クライアントとして、料金を支払い、忙しい時間を工面して、自分のためにセッションを受けているはずなのに、いつの間にか、セラピストの期待に応えようという気持ちになってしまうのです。 それに無意識の時、期待に応えられない自分を卑下して、セッションが継続できなくなってしまうことがあります。 セラピストは仕事をしています。 そして、クライアントは、セラピストの技能を利用するために、料金を支払いサービスを受け取っています。 極端な話をすれば、クライアントはセラピストを使っていいのですし、セラピストはそのために、クライアントの鏡となってそこにいます。 必要な心の知識を伝えることも、セラピストの仕事です。 クライアントは、堂々とセラピストの前で、困ったことを話していいですし、泣いてもいいですし、怒ってもいいですし、悲しんでもいいのです。 セラピストと契約をして、自分自身の成長の道を歩んでいるのは、クライアント自身であり、自分にこそ主権があることを忘れずに。   セラピー中に注意すべきこと6:自分の豊かさと喜びのためという主導権を放棄しない セッションを受ける目的は、セラピストのためではないというのは当然です。 それは、自分自身の豊かさと喜びのためです。 自分自身の豊かさと喜びに、どんなことが含まれるでしょうか。 パートナーのこと、子どものこと、仕事のこと、お金のこと、健康のこと、自分の人生に関わるあらゆることが、自分自身の豊かさと喜びに関わっているはずです。 どれか1つだけしか叶えらないということはありません。 セラピーでは、自分自身を整えるのですから、あらゆることの中心にある自分が整うと、人生に関わる全てのことに、本来良い影響があるはずです。 何度も何度も気づきを重ねながら、自分の周囲に、意識的な渦を起こしていきましょう。 あるべきものが、あるべき場所へ戻り、ありのままの自分と自分の本当の人生が、自然にそこに現れるはずです。 私は、セラピストして、ではなく、かつてセラピストに何度も転移や投影を繰り返してきた傷ついた子どもだったクライアントとして、また、十分にセラピーから恩恵を受け取ってきたクライアントとして、一人でも多くの人が、一日も早く、セラピーの効果を受け取っていただけるように、活動をしていきたいと思っています。
  • サバイバー回復レポートVol.10 お母さん、私の父を返してください 2021年5月11日サバイバー回復レポートVol.10 お母さん、私の父を返してください
    2021/5/11 「イクメン」という言葉は、最近はあまり聞かなくなりましたが、流行りだした当初から、この言葉には議論もありました。 ・・・・本来子どもに対する責任は、母親と父親に半分ずつ持っているもので、育児は母親が父親に手伝ってもらうものではない。 ・・・・育児という親として当然のことをしている男性に、どうして特別な価値を与えるのか? などなど。 今でも、子育ての全責任は母親にあるかのような社会的風潮がある日本では、母となった女性が就労に悩む実態があります。 一方で、子どもにとって、幼少期までの母子一体化がとても大切だという理解は、多くの人たちが、子として、親として実体感していることでしょう。 「父親が持つ子どもへの責任とは何か?」 「母親と子どもの一体化とは何か?」 このことを理解していると、子育てはとても楽になります。 そして、その理解のために、父子関係、母子関係以前に、夫と妻という、夫婦の関係性を理解する必要があります。 母子一体化 子どもたちは、誰もが母の子宮の中で育ち、胎盤から栄養を受け取って、この世に送り出されます。 母と胎児は、十月十日一体となって過ごします。 つまり、母=胎児の世界です。 生まれてからも、母の胸に抱かれて、母乳をもらったり、ミルクを与えられたりしながら、子どもたちは、少しずつ母との一体化を卒業し、外の世界へ自分を探しにいきます。 安心して、母子一体化を感じていられた子どもは、外の世界への旅立ちもスムーズで、自立も順調です。 ところが、母子一体化が十分に感じられていない子は、不安が大きく外の世界への旅立ちも遅れがちです。 「初期の社会」となる園や小学校で、我が子がうまくやっていくかどうかは、母親にとってみたら「子育て試験の結果」を突きつけられるようで、うまくいけばホッとするし、うまくいかなけば、自分自身を責めてしまうような事態にもなりかねません。 そうして焦った母親が、「ちゃんとしなさい!」「どうしてできないの?!」などと、不安がる子どもたちのお尻を叩いてしまうと、事態はさらに悪化して、子どもたちはむしろ家の外には出たがらなくなります。 この場合、大切なのは、子どもが何歳であっても、やり残してきた母子一体化を与え、子どもを安心させることです。 心理的な癒しにおいては、遅すぎることはありません。 安心できた子どもたちは、自分の足で、しっかりと社会へ入っていくことができるようになります。 この時期こそが、母子一体化の卒業という、自我の成長のための大切な通過儀礼です。 この通過儀礼は、自我を生きる人なら、誰もが何らかの形で通過している必要がありますが、通過できていない時、大人になった私たちは、母子一体化の狭い世界の中に閉じ込められて、身動きが取れなくなってしまいます。 母の眼鏡 誰もが、母子一体化から人生をスタートさせます。 そして、母の元を卒業する必要があります。 「愛されて安心できる感覚」とか「共感」という母性からもらったものはしっかりハートの中に持って、父性のエネルギーに導かれながら、「自分とは誰か?」という問いとともに、自我の輪郭をなぞっていく作業が、人の精神的成長であり、自我の確立です。 母の元からの卒業は、母を否定することでもあります。 この否定は、存在の否定ではなく、健全な孤独、つまり、一人あることを意味します。 ジョンブラッドショーが「病んだ家族からの旅立ち―アダルトチルドレンの克服と回復を目指して」の中で言っているように、成長するということは、母子一体化から旅立ち、孤独になる道のりのことなのです。 ですが、否定できないほどに、母が、かわいそうで惨めな存在だったら? 母を否定できないほどに、自分自身が、寂しさや孤独を感じていたら? 私たちは、母の元を健全に立ち去ることができません。 そんな時、母の感情を自分の感情と誤解しながら、母の眼鏡を通して世界を見てしまうようになります。 そうして、《母の小さな子》を生きている時、いくつになっても私たちは、自分らしさを感じられず、もがき続けることになります。 母の見る世界を生きていた私 夫婦の関係は、子どもに大きな影響を与えます。 私も、その影響を多分に受けて育った子どもです。 難しいのは、その影響が、夫婦(親)が意識してない無意識のものまで含むという点です。 さらに、母親が、意識的、または無意識的に、子どもが外の世界に行かないように、へその緒を切らずにいるとした、どうすれば子どもの方から、硬くつながったままのへその緒を切ることができるというのでしょう。 《肥大化した母性》の前で、《大人になった子ども》の私たちは、やっぱり無力であるように感じます。 ですが、セラピーは、そんな無力な私たちに、力を与えてくれます。 香港で受けたファミリーコンステレーショントレーニングで、両親の夫婦関係に巻き込まれ、かわいそうな母を助けようとして、母のために父を憎んできた自分を見つけました。 30代前半で、あまりの生きづらさで飛び込んだインナーチャイルドワークで、父こそが私の苦しみの原因だと思ってきたけれど、実際には母との問題が根深かったと気がついてから、それまで意識されなかった私の母への葛藤はより表面化するようになりました。 そうして何年も経って、はるばる飛んだ香港という異国の地で、広東語で明らかにされた私と両親の秘密に、私は言葉も出ませんでした。 両親の間に挟まれて、身動きが取れなくなっている私の代理人の元に、本人である私が呼ばれ、ファシリテーターにこう指示を受けました。 「“お母さん、私の父を返してください。”と言いなさい」と。 怒りの涙が流れ、私は、震える声で母の代理人に言いました。 母は、私が10歳の頃から、自分の夫は加害者で、私たち母子は被害者であることを、堰を切ったように、私に向かって話すようなりました。 その後、私が家庭を持って30歳を超えても、その話は止みませんでした。 母からの「あなたの父は加害者だから、愛してはいけないのだ」という繰り返されるメッセージとともに、私は大好きだった父のことを、長年母に奪われてきたのだと理解しました。 すると、ファシリテーターは、言いました。 「怒らずに、泣かずに、平常心で、静かな声で言いなさい」と。 これは、わたしにとって、とても意味のある方向づけでした。 確かに過去の母の言動は残念なものでしたが、それは過去のことであり、終わったことです。 私が、まだ、母に怒りを向けているのだとしたら、傷ついた小さな子のままだということになります。 「お母さん、私の父を返してください。」という静かな表現は、つまり、「私は、一人の成熟した大人として、父の娘である自分を尊重し、父とまっすぐにつながり、愛することを選択します。」という、意識的なコミットメントをするトレーニングだったのです。 過去を過去にするために 思えば、私は自分自身のセラピーの途中から、母への怒りに苛まれてきました。 そして、この香港での体験が生じるまで、私からの一方的な抵抗によって、母との関係には距離が出来ていました。 ある観点から言えば、子ども時代に隠されてきた母への怒りがやっと出てきたとも言えますが、だからと言って、それは大人の私にとっては健全なものとは言えません。 過去に正当性を求めているうちは、やはり、いまここの自分は苦しいのです。 「中毒は、子どもが母親へ向ける復讐だ」と、ファミリーコンステレーションの創始者、バート・へリンガーが、この書籍「愛の法則―親しい関係での絆と均衡」で語っていますが、「お母さん、私の父を返してください」とは、まさに、中毒から脱却するための宣言でもあります。 確かに、私は、いくつかの中毒的行動に苛まれてもきましたし、母が持っていた男性へ向けられる怒りと同一化してきたことは、私を何度も性的トラウマの被害者としてきました。 また、具体性のない、男や社会という概念へ、激しく抑圧された怒りを向けることにもなりました。 先日ふと親子関係の問題を扱う番組を見ていたところ、ある専門家が「母子関係の問題の原因は、父が家から精神的に去って、母が孤立してることにある」と言っていました。 だとして、その歪んだ母子関係の中で育った子が男性の場合、やはり、愛する父を真似してその場を去っていくか、母に飲み込まれ続けるしかないでしょうし、女性の場合は、自分の母と同じように、孤独のまま、子を飲み込み続けるしかないのでしょう。 ディズニーピクサーの中では人気がないと言われている「メリダとおそろしの森」は、女性監督作品ですが、まさに肥大化した母性を超えていく娘の物語です。魔法によって、肥大化した母性の象徴である「熊」に変身してしまった母との絆を取り戻す主人公メリダ。この英タイトルが「Brave」(勇敢)であることには、納得するばかりですが、人気がないのは、多くの人が未だに肥大化した母性と一体化していたいからかもしれません。 また、日本語タイトルが「メリダとおそろしの森」だというのも意味深く感じます。 河合隼雄先生がいうように母性社会に生きる日本人にとって、いまだに「母」とは、迷い込んだら出られない「恐ろしの森」なのかもしれません。 無意識を意識化する セラピーに飛び込むとき、私たちは、痛みに直面します。 それは、長年隠されてきた痛みで、小さな私たちは、その痛みに圧倒されてきました。 そうして、大人になってしまった私たちに必要なのは、まさにBrave(勇敢)であることです。 無意識にある隠された痛みを意識化することで、変えられなかった運命が、形を変えていく瞬間を目の当たりにするでしょう。   香港での最初の10日間のトレーニングから帰宅してから1週間ほど、私は、自宅のベッドで朝起きるたびに、びっくりして飛び起きていました。 というのも、朝起きる度に、自分が今どこにいて、今日が何日で、今何時で、自分が誰なのかわからないという衝撃を感じていたからです。 母を超えて、父とまっすぐつながることで、40数年間、母と一体化してきた歪んだ自我が、崩壊していたのだと思います。 1週間ほどその状態が続いていましたが、次第に、いつものように穏やかに目覚められるようになりました。 そして、それ以来、母との関係は、ぎくしゃくすることがなくなり、自然な感謝や自然な笑いが生まれる関係になりました。 もちろん、母が変わったわけではありません。 親は変えられないのです。 変わったのは私であり、それは、母のへその緒がやっと切れたことを意味していました。 SNSで見つけた東欧のアニメ作品。 アーティステックな描写の中に、日本では決して語られない痛みの本質を見ます。
  • サバイバー支援者が家族の心理学を学ぶべき理由 2021年4月28日サバイバー支援者が家族の心理学を学ぶべき理由
    ハートエデュケーションセンターは、これまで虐待サバイバー本人へのセラピー教育をしてきましたが、実際にサバイバーがセラピーを受けて、過去のトラウマによる心身の症状を克服するまでには、大きく分けると以下の2つの障害があると考えます。 1)サバイバー本人の認知能力の低下 2)支援者が適切な支援をできないこと 1つ目の本人の認知能力の低下とは、防衛反応によって、痛みを感じないようにしているために、自分に生じていることがわからないという状態です。 2つ目の深刻な障害は、本来サバイバーの支援者であるはずのセラピスト、カウンセラー、ティーチャー、パートナーが、本人に何が生じているのかを理解していないため、適切な支援が出来ないということです。 これまで何度も、支援者に心ない言葉をかけられて傷ついてしまったというサバイバーの話を聞いてきました。 もちろん支援者側は、本人を傷つけようと思ったわけではない場合もあり、見方によっては、本人が勝手に傷ついたとも言えます。 ただ、そうであっても、彼らの防衛反応や認知の低下に気がつき、彼らに何が生じているのかを理解することなく、支援者として最大限に力を発揮することはできません。 サバイバーの課題は、身体に刻まれたトラウマであり、機能不全家族の心理的呪縛から逃れられていないということです。 つまり、考え方や性格の問題ではない、ということです。 これはとても大事です。 つまり、サバイバーに考え方を変えろ、性格を変えろというのは、ほぼ意味がないどころか、さらなる認知の歪みを発生させてしまうことになります。 身体に刻まれたトラウマリリースのためには、トラウマ療法が受けられればベストですが、日本ではなかなか選べるほどセラピストが存在しません。ですが、うまくいけば、マッサージやボディワークでも、緩めていくことが可能です。 ※ハートエデュケーションセンターがお勧めするトラウマ関連の書籍は、HE図書室をご覧ください。 ただ、その際最も大切なことは、施術する側が、トラウマと機能不全家族の影響についてどれくらい理解しているか、ということです。 これは、実は、トラウマサバイバーだけでなく、本来すべての人に関わっていることなのですが、あまりにも核心に横たわっているため、多くの人がその周辺をぐるぐると回っているだけで、核心に手を触れようとはしません。 コーチングやカウンセリング、ボディワークが、サバイバーになかなか効かないのは、実はこの機能不全家族について支援者が知らないからだと言えます。 エネルギーワーク、前世療法などのいわゆるヒーリングと機能不正家族の課題も、無関係ではありません。 次回はそれについて。 動画コース「ハートメッセージガイダンスvol.4&5」は、家族の心理学についての講義が収録されています。 ハートエデュケーションセンター 川村法子