2020.9.16

 

私には、重度知的障がいと自閉症スペクトラムを持つ娘がいます。

先日、6歳になりました!

 

来年小学生になりますが、まだオムツが外れないのでのんびり見てもらいたい気持ちもあり、特別支援学校を選択する予定です。

 

私が心の学びを続ける理由の中に、「障がいとは何か」という問いがありました。

さまざまな考え方があると思うので、ここでは私のプロセスや私の想いを綴りたいと思います。

 

娘は一人っ子なので、成長速度を比べられる兄弟姉妹がいません。いつもニコニコ楽しそうにしているし、言葉がなかなか出てこないけれど、まさか「重度知的障がい」があるとは思わず。ですから、診断が出た時は「そうだったのか」と驚きました。

とはいえ、周りの子と比べると明らかに成長がのんびりなので、「この子はどうなっていくんだろう」という不安は常にありました。診断が出る前の事件ですが、数年前に福祉施設で起きたいたましい事件のことを考えると、今でも涙が出てきます。

 

「障がいとは何か」「人とは何か」

 

きっと、娘がそのように生まれてきてくれなかったら、私は自分自身を正直に見つめることができなかったと思います。

ある方が、「娘さんに招待されたんだね」という言葉をくれました。

何てピッタリな言葉なんだろうと、震えました。

 

保育園も、働き方も、小学校選びも、現実と直面することの繰り返しです。

聞きたくない言葉を言われることもありました。

そして、わたしの中にも、嫉妬や恐怖など、本当にたくさんのものがありました。

 

歩けるようになること。

走れるようになること。

ジャンプできるようになること。

線を引く、丸をかけるようになること。

 

さらりとできてしまうようなことも、じっくり時間をかけて、修得していきます。

そんな姿を見ていてある時、「あぁ、この子は体験•行為そのものを、ものすごく深く深く、味わっているんだな」と気づくのです。これはもしかしたら、実はとんでもなくすごいことなんじゃないかと思います。

また、話せないけれど、実は存在そのものが言葉を放っていると気づいてからは、コミュニケーションがスムーズです。娘も嬉しそうにしています。言葉は、言語になる前に、その人から溢れているんですね。

 

そして、存在を否定されること。

「分からないだろうから…」という言動は、当たり前ですが本当に伝わります。仲間外れにされたり、過度な期待を受けると、娘はどんどん萎縮していきます。

これは、私の中のチャイルドを大きく揺さぶりました。

 

世界中の人は、一人残らず、すべて全員、〈存在〉している。

できようが、できまいが、どんなことがあろうとも、何があろうとも、そこに〈存在〉している。

 

当たり前だけど、私はまったく実感しながら生きてこなかったようです。

どうやら私はずっと自分の〈存在〉を否定していたようで、私は今〈存在している〉ということに気づいた時、涙がぽろぽろ溢れてきました。

 

特別支援学校の見学に行って、たくさんの子どもたちに会いました。

音楽の授業で、身体で、心で音を感じている子。

土や草の感覚、風を楽しんでいる子。

先生とのコミュニケーションを「嬉しい」と全身で表現する子。

 

もれなくすべての子が、防衛することのない〈存在の美しさ〉で溢れていました。

 

こんな素晴らしいことを教えてくれた娘、子どもたちには感謝しかありません。

この先も、きっとも娘は想像できないような体験に招待してくれるんだろうと思います。

 

なにがあろうとも、どんなことがあっても、〈存在〉している。

なんて深い安心感をもたらしてくれるんだろう。

 

娘、ありがとう。あなたはママにとって、かけがえのない虹色の大切大切な宝物です。生まれてきてくれて、ありがとう。

 

写真は、アフリカの猫ちゃん。

Asami