サバイバーについて考える Vol.7 大人の責任を引き受ける子どもたち
「多くのサバイバーは、幼い頃から大人の責任を引き受けさせられる家族で生きてきました。その結果、途中で様々な体験や学ぶ機会を大幅に失って、慌ただしく成長しました。回復は、散逸した断片を拾いながら、自己の失われた部分を取り戻すことでもあります。」
「もしも大切な人が子どもの頃に性虐待にあっていたら」ローラ・デイビス著
過去の虐待経験(性的、精神的、身体的)について誰かに話すと、それを体験したことのない人は、驚いて腫れ物に触るように扱ったり、自分には無関係だと他人事のように振る舞うことで、距離を取ろうとするかもしれません。
ですが、理解しておくべきことは、重度のサバイバーの心理的苦痛は、それを体験したことのない人の心理的苦痛と、無関係ではないということです。
もちろん、サバイバーの痛みは相当のものなので、軽率に扱うことはできません。
それは、痛みとしては強烈で、その人の人生そのものや人格、健康に、非常に深刻な影響を及ぼします。
ですが、他の痛みと、絶対的に違うものであるかというと、決してそんなことはありません。
その意味で「もしも大切な人が子どもの頃に性虐待にあっていたらーローラ・デイビス」に書かれてあることは、全ての人たちにとって有効な内容と言えます。
「多くのサバイバーは、幼い頃から大人の責任を引き受けさせられる家族で生きてきました。」という一文が、そのことを示しているでしょう。
重度のサバイバーでなくても、この体験に記憶がある人は多いはずです。
幼い頃から、母親の愚痴のはけ口になってきた。
忙しい母親を、なんとか助けてあげたいと思ってきた。
不幸せな母親が、幸せになれるように、気遣ってきた。
父親の自己否定の面倒をみてきた。
父親の暴力や暴言を、他人に知られないように、明るく振る舞ってきた。
などなど、書けばきりがないほど、私たちは、ありとあらゆる場面で、両親の面倒をみてきました。
友達のような親子であることは、一見良いことのように見えますが、表面的な仲の良さのその奥に、もしも、親が子に依存していたり、自分たちの状況を理解するように強いているとしたら、子どもたちに大きな負荷をかけています。
大切なことは、子どもたちは、まだ、意志の力で、NOと言えるほど成熟してはいないということです。
そして、子どもたちは、大好きな親になんとか愛されようと、幼い頃から少しずつ戦略を始めていきます。
また、適切な形で愛をもらえず、自我が未成熟であるとき、模倣によって、親そのものになろうとします。
こうして親が無意識に、子どもに自分たちの人生の責任を取らせようとする親子の逆転ゲームが、着々と進行していくのです。
そして、愛を求めながらも、NOとは言えない子どもたちの声なき声は、本人たちもわからない、無意識の行動化(アクティング・アウト)や、自分を攻撃する内攻化(アクティング・イン)という形で現れはじめます。
重度の虐待のサバイバーでも、そうではないサバイバーでも、回復への道のりが、自分の失った断片を拾い集める作業であることは、共通しています。
私たちは、幼い頃に、大切な自分自身のありのままの感覚を、度々失ってきたために、大人になっても、自分が感じられないままでいるのです。
ありのままの自分へ戻る旅は、過去の失ってしまった自分の断片を取り戻す作業からスタートします。
それは、痛みを忘れたり、ないことにしたり、軽く見積もることではありません。
その意味で、セラピーとは、正しさを学ぶ場所ではなく、自分自身であることに正直でいるためのプラクティスなのです。
※この文章を読む際の留意点
虐待の定義は、身体的、精神的、性的、ネグレクトと言われていますが、サバイバーの傷は、外部から見えやすい定義可能な虐待だけが原因とは言えません。ハートエデュケーションセンターでは、外部からはわかりにくいケアされない痛み、つまり、親が子の感情をネグレクトすること、バーストラウマ、機能不全家族の問題、家系から受け取ってきた負の連鎖なども、サバイバーを生み出す原因であると考えます。
※この記事は、過去のFacebookページの投稿を加筆修正しています。
ライター- 川村法子 2018年2月8日ハートエデュケーションセンター、Pranava Life代表。これまでに不登校、ひきこもり、心身症、アレルギーなどの身体の症状、依存症、DVや小児期の虐待(身体的、精神的、ネグレクト、性的)によるPTSD、関係性の問題、お金や仕事の問題などを、解決へと導いてきた…