サバイバーについて考える Vol.2 刺激と中毒
成熟した大人意識とは何か
内なる子どもたちを罰することなく、ただ優しく見守り、愛を伝え、また、指針を与えられる成熟した大人意識が育って初めて、内なる子どもたちは安心を得られます。
内なる子どもたちの抑圧された感情を解放するのは、トラウマ療法的アプローチと言えます。
ですが、それだけでは、成熟した親は育ちません。
傷が癒されても、その後どう振る舞っていいかわからないままだと、私たちは、また同じ苦しみを繰り返してしまいます。
その時に必要となるのが、成熟した大人意識です。
そして、この内なる成熟した大人意識を育てるためには、トレーニングが必要です。
つまり、これは、癒しで生じるものではなく、意志によって生じます。
日本におけるインナーチャイルドワーク(ヒーリング、カウンセリング、セラピー等)の大きな誤解があるとすれば、内なるチャイルドたちに人生の舵取りという主権を与えてしまい、親は一歩下がって、子どもたちを放置していいというものです。
これは大きな誤解であり、また、実際の大人の人生に大混乱を生む原因となります。
現実の子どもたちがそうであるように、内なる子どもたちは、大人の保護があって初めて自由でいられます。
もし、内なる子どもが天真爛漫なまま、一日の計画を立てたら、大人の私たちの生活はどうなるでしょうか。
きっと、仕事には行けなくなりますし、食事だってまともにとれなくなりますし、社会的な役割も放棄してしまうかもしれません。
子どもは子どもを安全に守ることができません。
内なる子どもたちのエネルギーは生命力そのもので、一度それを知ると、その素晴らしさや爆発的な力を前に、自分はなんでもできるというような万能感を感じるかもしれません。
ですが、成熟した大人意識を育てないまま、自分の生命エネルギーと呼ばれるような強烈な力を開花させた時、人は、周囲のあらゆるものをなぎ倒し、放置し、自分も他人も傷つけて、果てしないものを追い求めながら、刹那的なものに、身を投じてしまいます。
こんな時、実は、感情中毒が生じていて、感情のアップダウンや痛みなど、刺激的なものこそが、人生の生きる価値だという誤解が生じているのです。
感情は大切なものです。
痛みも無視してはいけません。
ですが、それは、私たちの本質ではありません。
痛いことを認知しながらも、傷をケアすることなく、それを勲章のように持ち続けているのは、痛みによって自己承認したいと望む《アダルトチャイルド》で、彼らは、内側の低い自己価値を見て見ぬ振りをしてます。
このアダルトチャイルドに人生が支配されている状態の時、私たちは、サバイバーと呼ばれる状態にあります。
刺激と中毒
サバイバーたち、つまり、アダルトチャイルドが人生の主権を握っている状態の時、私たちは、刺激を求めます。
なぜなら、刺激的なものがない状態、つまり、素の自分でいると、低い自己価値による、あらゆる恐怖や罪悪感、寂しさや不信感、またそれらすべてが含まれているような得体の知れない激しい痛みがやってくるからです。
その状態は非常に無防備です。
そのため、自分が内側に抱えている痛みがもたらす刺激と同等の刺激を必要とします。
アルコールやドラッグなどの重篤な中毒から、ニコチンやカフェイン、ゲーム、インターネット、活字など、仕事など、中毒は広範囲に渡って存在しますが、1つ言えるのは、扱いきれない内側の痛みが大きければ大きいほど、求める刺激も大きいということです。
その意味で、心身を傷つける類の中毒は、より強い痛みを内側に抱えている証拠と言えます。
また、子ども時代の危機だらけの人生を、大人になってもなぞっているとも言えます。
つまり、アドレナリン分泌で興奮し、自分を奮い立たせ、自動反応し続けることで子ども時代を生き延びてきたサバイバーたちが、危機を乗り越えることで自己価値を育ててきた場合、刺激を求め続けることそのものが、彼らにとって自分の居場所になっていると言えます。
刺激は、その人の人生にとって、なくてはならないものになってしまっているということです。
こんな風に解説すると、とてもシンプルなことに思えますが、実は、中毒しているときは、自分の中毒には気がつくことができません。
中毒が生じているときは、パートナーシップや仕事、家族関係にも問題を抱えていますから、場合によっては、セラピーを受ける理由は、中毒ではなくて、それ以外のことかも知れません。
そして、セラピーを進めながら、自然に中毒が1つずつ落とされていくというのが、癒しによって生じることです。
中毒は治癒可能です。
そして、治癒を起こすために、私たちは、刺激を求める原因となっている、扱いきれなかった痛みを1つずつ扱っていく必要があるのです。
痛みは、本来、私たちが子どもの頃に、大人がケアし、治癒できるということを、子どもの私たちに示しておく必要がありました。
ですが、それがなされなかったことは、非常に残念なことです。
でも、それは、その子のせいではないですし、当時の大人を責めることも解決にはなりません。
大人たちも、自分を守るべき大人たちに傷のケアを教えてもらっていなかったので、そうすることができなかったのです。
シンプルな事実として、子どもたちをケアできる成熟した大人がいなかったこと、それが世代間で連鎖していることが、非常に残念な事実なのです。
私たちが、内なる子どもたちの傷をケアするということは、傷の世代間連鎖を止めることでもあります。
自分自身の人生に生じた残念な事実を認めて、新しい選択ができたら、私たちの生き方は変わり、愛に沿った生き方が、私たちの家族の中に広がっていくでしょう。
その事実を認めきれない時、私たちは、未だに愛を誤解していて、《傷ついたまま愛を求め続ける子ども》になっている可能性がありますが、その状態では、決して愛を手に入れることはできません。
傷ついたその子の目的が、愛を生きることではなくて、愛を求め続けることになっていないかどうか、観察してみるのといいでしょう。
※この文章を読む際の留意点
虐待の定義は、身体的、精神的、性的、ネグレクトと言われていますが、サバイバーの傷は、外部から見えやすい定義可能な虐待だけが原因とは言えません。ハートエデュケーションセンターでは、外部からはわかりにくいケアされない痛み、つまり、親が子の感情をネグレクトすること、バーストラウマ、機能不全家族の問題、家系から受け取ってきた負の連鎖なども、サバイバーを生み出す原因であると考えます。
※この記事は、過去のFacebookページの投稿を加筆修正しています。
ライター- 川村法子 2018年2月8日ハートエデュケーションセンター、Pranava Life代表。これまでに不登校、ひきこもり、心身症、アレルギーなどの身体の症状、依存症、DVや小児期の虐待(身体的、精神的、ネグレクト、性的)によるPTSD、関係性の問題、お金や仕事の問題などを、解決へと導いてきた…