2020.8.22

 

私には、とても苦手なものがありました。

それは“望んでもいないアドバイス”です。

 

例えば、心が動くことがあって、そのことを話した時。

後度、その場にいた誰かが駆け寄って来て、

「それは〜〜〜したほうがいいと思う」

「〜〜〜〜だからじゃない?」

「繊細だからだよ…今までつらかったね」

「なんにも問題ないと思うんだけど、どうして問題だと思うの?」 etc…。

 

アドバイスを求めたならまだしも、 そうではないのにアドバイスをいただくと、

すごく侵入される感覚だったり、 自分の無価値観や敗北感を刺激されます。

 

「あなたを思って言っているのよ」と見せかけた、何らかのエネルギー…。

 

そのアドバイス、ちょっといらないかもと態度に出してしまうと、

「あぁ、まだ受け入れることできないよね」なんて言われることもしばしば。

 

もちろん、自分自身も誰かに対して、 「あなたより、私のほうが知ってるよ!」と主張したくなることもあるし、実際にたくさんしてきていると思います。

そういうときは、自分を形に例えると、尖っていて、歪んでいる。

言った後も満足することはなくて、一時の優越感があるだけ…。

 

一方、〈わたし〉〈あなた〉の境界線を感じていて、自分の場所から声をかけてくれる方の言葉は、本当に助けになります。

どうやったらそんなふうに人と関われるようになるのか?

覆いかぶさるでもなく、こてんぱんにするでもなく、相手を無視しながら「してあげてる」優越感に浸るわけでもなく、愛に溺れるでもなく、 シンプルな共感。

 

呼吸もゆるやかで、それぞれの場所で、共に生きているような安心感。。。

この関わりは、憧れでした。

 

たくさんのチャイルドに出会うプロセスの中で、 この8月は「こわくてしかたない」チャイルドに会いました。

人と関わることが、とにかく恐怖。

勝つか負けるしかない。

自分にも相手にも無価値だとバレないように、隠さないと!

呼吸は粗く、緊張、緊張、緊張。

 

こんなにも「こわい」と感じていたチャイルドを知って、 もう本当に驚いてしまいました。

骨の髄まで、恐怖!

 

何度も何度も、何度も、チャイルドを保護しました。

すると、世界の見え方が少しずつですが、変わっていきました。

自分にとって攻撃としか感じないコミュニケーションはいらないし、わたし自身も、それを相手に行う必要性が、どんどんどんどん、なくなってきました。

 

それをしなくても、〈わたし〉も〈あなた〉も、存在している。

「わたしは在る」という感覚が、安心させてくれる。

 

こんなに「こわい」感覚のままいさせてしまって、小さな私、本当にごめんね。

お母さんが迎えに来たよ。もう、そこにいる必要はないからね。

一瞬一瞬、美しさや喜びで、満たされていてもいいし、満たしていこうね。

条件で、存在を承認されることは、もう終わったから安心してね。

 

今まで、ほんとうにありがとう。

 

写真は、アフリカの海。