不自由という満足&窮屈さという快感(2021/4/5)

タイトルがギョッとしますね(笑)。
「不自由という満足&窮屈さという快感」ですからね。
文字だけ読むと、それは、とても自虐的、自傷的で、自己憐憫に満ちていて、シェイムでいっぱいの状態みたいですね。
実際そうなんです。
だけど、この状態にある人は、そのことに気がついていません。
だって、満足で、快感があるわけですから。
これは実は、人に備わったコーピング反応(防衛反応)であり、ある種、人の創造性とも言えます。
こういう状態にある人は、幼い頃に、親から窮屈で不満足な状態を与えられ続けています。
そして、その不快な状態から逃れられない時、子どもは、その状態をなんとかしようと、その窮屈さと不満足さの中で、快感を見つけながら、なんとか生き延びようとします。
「この程度でいい」「これで十分だ」「私はこんなものだ」「高望みはしない」
そんな感覚ですが、これは、生き伸びるための知恵なんですね。
だけども、それは、本当の自分の満足や自由ではありませんから、結果、いつも不快感がやってきて、強烈な焦りや憤りに苛まれます。
一攫千金を夢見たり、誰かになろうとしたり、ギャンブルに走ったり、極端な行動に出がちです。
ですが、時々、外部から与えられる、自由や満足へのチャンスを選択するのは、とても怖いし、罪悪感を伴います。
自由や満足を選ぶと、親を裏切ってしまうような感覚になるからです。
このように、コーピング反応になれてしまうと、自由であること、豊かであることを、避けてしまうようになるんですね。
「自分の運命だと思っていたら、防衛だった」というのは、きっとこのことなんでしょう、、、涙。
これは、無意識で起こっていますから、本人が見ている世界では、別の理由づけがなされています。
「忙しい」「面倒臭い」「興味がない」「相手に搾取されている」「これを選ぶのは危険だ」「これが私らしさだ」「これが正義だ」「もう少し先送りして問題ない」、、などなど。
窮屈さ、不自由さを生き抜くためのコーピング反応が、このように正当性をもってしまったり、美徳になってしまうと、人は、潜在意識の足枷によって、その場から動けなくなってしまうのですね。
お金や仕事で、満足できてない時、実はほとんどの場合、このことが生じています。
それは、本当に愛なのか?
それとも、愛のようにみせかけた苦痛なのか?
ただそれに気がつくだけで、人生は、全く別のベクトルに動いていきます。
大切なことは、「私は、今、愛と仕事に満足しているのか?」という問いです。
なんどもお話しする通り、愛と仕事は、健全な自我の二大柱だからです。
また、「私は、多ければ多いほどいいということを、自分に許しているだろうか?」というのも、とても有効な問いです。
「多ければ多いほどいい」って、なんとなく抵抗を感じる人もいるでしょうか?
「少しだけあればいい」「足りればいい」「使うぶんだけあればいい」
っていうのは、なんだか聞き慣れた賢そうな言葉です(笑)。
ですが、ファミリーコンステレーションの創始者、バートヘリンガーは、「豊かさとは量が多いということ」だとはっきりと言っています。
「たくさんあるっていいことだ」というシンプルな事実を、あなたは、どう受け止めるでしょうか。
次回はそのことについて少しお話ししていきますね。
ハートエデュケーションセンター 川村法子(イーシャ)

2021年4月5日配信

ライター
  • 川村法子 2018年2月8日川村法子
    ハートエデュケーションセンター、Pranava Life代表。これまでに不登校、ひきこもり、心身症、アレルギーなどの身体の症状、依存症、DVや小児期の虐待(身体的、精神的、ネグレクト、性的)によるPTSD、関係性の問題、お金や仕事の問題などを、解決へと導いてきた…