自分が自分自身を認めてあげたかった/Iさん(女性・40代・神奈川県)
Iさん(女性・40代・神奈川県)
コースを通して、徐々に、私のアダルトチャイルドが、インナーチャイルドに対して、どのように扱ってきたかが、見えてきました。
アダルトチャイルドは、常に自分のことで精一杯で、インナーチャイルドが感じていること、些細な感覚さえも、スルーして(無視)、一つ一つの気持ちや声に構ってあげられなかった。
外の世界の対応に忙しく、焦って生活していたので、インナーチャイルドが何か訴えたり、言うことは、後回しにして生きてきました。また、ある時は、インナーチャイルドの感情や気持ちが表に出てこないように、頑丈な扉に閉じ込めてコントロールしてきました。
そのため、深い所にいるインナーチャイルドが安心できず、ほっとして自分らしさがわからない状態、自分を味わうことが出来ない状態にありました。
小さい頃を振り返ると…
両親や周りの大人は、自分のことで一生懸命で夢中で生きていたようです。
また、感情をぶつけ合いながらの喧嘩やいざこざが毎晩続いていたため、私は、自分が揉め事のきっかけにならないよう、巻き込まれないよう、身を小さくして生きてきました。
周りの世界に、不安や恐怖を過度に感じて、ギュッと堅くなっていました。
そして、
「ちゃんとやらねば、認めててもらえない」
「きちんとしなければ」
「しっかり、やり遂げないと、怒られる」
「真面目にやらないと…」
「正直に言わないと、後で大変だ」
と、力みながら防衛して、生きる技を身に付けてきたようです。
周りからの評価を気にして、少しでも見てもらいたい、認められたい、誉められたい…という心の叫びであり、欲求でした。そして、自分が自分自身を認めてあげたかった。
ただただ、生きる為に
「ちゃんと~」
「きちんと~」
「しっかり~」
「真面目に~」
「正直に~」
と、この形容詞が始めにあって,外の世界を伺って生きてきたのです。
「自分からスタートする」「自分から動きだす」というのが分からず、外の世界の評価、ジャッジメント、意識という基準が始めにあって生きてきました。
そのため、私の内側のインナーチャイルドと、生活スタイルに現れる表現が、完全に分離していました。
インナーチャイルドから、
「そのままの自分を見て欲しかった
ありのままの私を認めて欲しい
注目してほしい
受容してほしい
アダルトチャイルドが頑張らなくても、私が私でいられる空間が欲しい
ほっとして呼吸できる場所が欲しい」
そんな声が聞こえます。
今まで、インナーチャイルドの悲鳴しか聞こえなくて苦しかったけれど、子どものような純粋なで素直な可愛い、インナーに気づけて、今はお互い喜んでいます。そして、頑張って生きてきたアダルトチャイルドにも、想いが溢れます。
こういった戦略の中でアダルトチャイルドが生きてきたため、いつも「私をそのまま、認めてくれる人」をパートナーに求めていたり、友人関係においても「自己主張する人より、話を聞いてくれる人」を選んでいたりします。
私は、自由が大好きで、自由でいられる場所や環境、関係性に心地よさを感じます。
逆に、制限やルール、社会的ルールが苦手に感じます。
今まで、アダルトチャイルドが傷ついたインナーチャイルドを守るために得てきた戦略方法だったと理解しつつ、これからは、インナーチャイルドの素直な気持ちを一つ一つ味わって表現して、選択行動しながら、私が私でいられる空間にいたいです。