思い込みとセルフラブ

20.10.23

<思い込み>とは何か

心の世界を渡り歩く時によく使う<思い込み>とは、自分自身を、自分がどんな風に決めているかという<信念>のことを言っているんですね。

通常、<思い込み>という時、そこには「真実じゃないことを、勝手に思い込んでいる」という意味があります。

ですが、心の世界、特に、インナーチャイルドワークでは、そのような意味では使いません。

実際に、幼い子どもの感覚を味わってみるとわかるのですが、思い込んでいた側にも、しっかりとした理由があるからなんですね。

私たちは、いつも内なる子どもたちの側に立つ<成熟した大人>であることが大切です。

<成熟した大人>であるとき、「幼稚な子どもが、勝手に思い込んでいるのは、バカバカしいことだ」と、決して、事態を低く見積もることはありません。

確かに、<思い込み>を紐解いていくと、いつかのどこかで、不必要なものだったのかもしれません。

だけども、それはバカバカしい思い込みではなく、「そうするしかなかった」「それしか選択がなかった」「それこそが最善だと固く信じていた」やり方なんですね。

<思い込み>という言葉を使う時に、そこまで汲み取ってあげられていたら、そして、過去の自分に愛を向けられていたら、きっと、私たちのインナーチャイルドたちも安心しているでしょう。

だけども、そこに、上に書いたような、事態を軽く見積もる自己否定の意味が含まれているとしたら、やはり、<イマココの私>の奥深くで、つまり、潜在意識で、自分を愛していない自分の言葉に、私たちは深く傷ついているのかもしれません。

<セルフラブ>とその勘違い

<セルフラブ>とは、過去の間違った自分を否定して、別の自分になることではありません。

それは、過去の自分を抱きしめられるくらい、今の自分が成熟していくことです。

「変わりたい」とか「本当の自分に戻りたい」という強い衝動と決意で、私たちはセラピーを受け続けますが、結果、お金と時間を費やして、現実が変わるか、変わらないかは、<セルフラブ>についての理解こそが、大きな分かれ道となります。

パートナーとの出会いも、仕事の質も、そこから受け取る収入も、育児も、家族関係も、人間関係も、この世に現れるものは、何もかも全てが、<セルフラブ>の在り方によって、完全なるバランスをとって展開しています。

もし、自分を罰するやり方を、<セルフラブ>と勘違いして、自分に向けているとしたら、自分を罰する現実が、目の前に差し出されます。

その意味において、私たちは、みんな、自分の願いを叶えています。

今この時点で、自分が望んでいることのありのままが、私たちの日々に映し出されているからです。

それに気がつくことができたなら、<セルフラブ>の方法を変えるだけで、現実が大きく変わることもあるでしょう。

現実は、いつも<セルフラブ>のバロメーターです。

現実の痛みから、<セルフラブ>の在り方を、再びチェックすることもできるようになります。

大切なことは、それだって一つの自由な選択です。

変えることだってできるし、変えないことだってできる。

変えることは正しさではなくて、一つの自由だということ。

どんな風に自分に愛を向けていたとしても、私たちの自由意志が尊重されているという事実に気がつくことは、<セルフラブ>の輪郭を知るための最初の一歩です。

私たちの現実は、何を見せてくれていますか。

そこから確認できる<セルフラブ>とは、どんなものでしょうか。

それは、本当に愛でしょうか。

それとも、痛みが愛と勘違いされているのでしょうか。

※この記事は、過去のブログを加筆修正しています。

ライター
  • 川村法子 2018年2月8日川村法子
    ハートエデュケーションセンター、Pranava Life代表。これまでに不登校、ひきこもり、心身症、アレルギーなどの身体の症状、依存症、DVや小児期の虐待(身体的、精神的、ネグレクト、性的)によるPTSD、関係性の問題、お金や仕事の問題などを、解決へと導いてきた…