「許し」というのは個人的な選択と体験であり、快復の過程の終着点でも究極の目標でもありません。サバイバーにとって重要なのは、虐待者との人間関係について決心できるようになることです。決心というのは、明確な限界と境界線を設定すること、虐待者との縁を切ること、または和解にたどり着くようなことがあるでしょう。しかし、必ずしも許すことを含んでいなくても良いのです。
「もしも大切な人が子どもの頃に性虐待にあっていたら」ローラ・デイビス著


癒しを通過する途中で、サバイバーが立ち止まる場所が、「許し」という大きな壁です。

「許し」がたどり着くべきゴールであると設定された場合、それを受け入れられない自分に気がついて、さらに罪悪感を感じてしまうのです。

「許し」とは行為ではなく、自然発生的な現象であるという理解がとても大切です。

ですから、セラピストやカウンセラーが、「許し」「感謝」をサバイバーの快復の目標とするのは、とても不自然ですし、危険な場合があります。

サバイバーにとって、大切なのは、自分の痛みとの対峙です。

罪悪感や恐怖、孤独とともにあるサバイバーが、セラピーを通過中に、許せないという気持ちや怒りを感じることができたら、快復への道のりにあると言えます。

つまり、自分自身のパワーとともに、自己尊厳を取り戻しつつあるということです。

怒りを取り戻すことができて初めて、自分自身の痛みに寄り添い、悲しむことが、癒しのための助けになります。

虐待を受けたことがあるのに、一度も怒りを体験したことがない場合、恐怖や悲しみで、怒りを抑圧させています。

抑圧された怒りほど、自分自身を傷つけるエネルギーはありません。

怒りのエネルギーが抑圧される時、それは、自分自身の内に向かい、重篤な病や激しい頭痛、交通事故などを引き起こします。

外側へ向かうべきエネルギーを押さえつけることで、自分自身の生命エネルギーを否定し、罰し、死へ向かわせようとする内攻化が起こっているのです。

一方、サバイバーが、許しや感謝をゴールとせずに、ただ、自分自身の痛みに向かい合い、自分をいたわることに時間をかけていくと、凍てついた大地から、小さな若葉が芽を出すかのように、新しい感情や感覚がやってくることがあります。

それは、「許し」や「感謝」であることもありますが、マインドで計画されたものではなく、自己尊厳や自分であっていいという安心の滋養あってこその、自然発生的現象です。

また、もし、サバイバーが、怒りだけで苛まれている時間が長ければ、サバイバーにとって大切なのは、悲しみや恐怖を取り戻すことです。

この場合、サバイバーは、生き延びるために、怒りの感情だけを利用してきていて、それ以外はあってはならないと蓋をしている可能性があります。

怒りの抑圧も、悲しみや恐怖の抑圧も、結果として、関係性の問題や様々な心身症状として現れます。

※この文章を読む際の留意点
虐待の定義は、身体的、精神的、性的、ネグレクトと言われていますが、サバイバーの傷は、外部から見えやすい定義可能な虐待だけが原因とは言えません。ハートエデュケーションセンターでは、外部からはわかりにくいケアされない痛み、つまり、親が子の感情をネグレクトすること、バーストラウマ、機能不全家族の問題、家系から受け取ってきた負の連鎖なども、サバイバーを生み出す原因であると考えます。